CG映画の未来
3歳の娘が、アナと雪の女王を喜んで見ているのですが、先日日本語吹き替えじゃなくて、英語にしてみたら、ある発見がありました。
当たり前だけど、口の動きが、声と凄く一致している…。
日本語吹き替えを改めて見たら、何かギクシャクして見えるくらいでした。
そこで思ったのですが、将来的にはCGで口の動きを、それぞれの吹き替えの言葉にあわせることが、成されそうな気がします。
今は一コマずつ発音と口の動きをあわせていると思いますが、動画で声優の口の動きを動画でとれば、そのままCGに反映される様なシステムも技術的にできそうです。
そしてそこまでできるなら、身振り手振りも動画で撮って、そのままCGにできそうです。
そうなると、その国の人が声を出しながら演技もして、それがそのままCGに反映される、という感じ。
よく文化の違いで、よく意味の分からないジェスチャーなどが出てくることがありますが、それもこの場合なら無くなります。
日本語版にすると、日本語を話す、日本人らしいアナ雪が見れて、英語版にすると、英語を話して、英語圏のリアクションやジェスチャーをするアナ雪になる、みたいな。
これはもう"日本語吹き替え版"以上のものですが、いいか悪いかは別にして、ちょっと見比べてみたい気もします。
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いまの吹き替え版の様に、日本語を話すけど、英語圏のリアクションというのも、冷静に考えると不自然ですよね。
室町時代の人の気持ちになってみる本
日本の室町時代を中心に研究している、清水克行さんの本を最近よく読んでいます。
具体的にはこんな本です。
・喧嘩両成敗の誕生
今も(ときどき)生きる、喧嘩両成敗という考え方が、どうやって生まれたか
・大飢饉、室町社会を襲う!
大飢饉になったとき、室町時代の人たちはどんな振る舞いをしたか
・日本神判史(←今ここ)
神様に尋ねる裁判(神判)の歴史。
アマゾンのレビューはあまり多くないですが、タイトルだけで、すでにぐっと来た方には、間違いなくおすすめです。
日本の歴史を読み解く本ですが、こういう本にありがちな、論文みたいな小難しさは皆無です。
室町時代の人たちの気持ちや、いろんなトリビアが、優しい文章で学べます。
(ちなみにNHKのタイムスクープハンターも監修していた人です)
この人のスタンスで好きなのは、合理的に説明しようとしているところ。
時々悲しい論調では、昔の人の判断を、現代の自分たちの常識から頭ごなしに否定してしまうものも多々あります。
(最近では、昨日の発言も、今日のスタンスから否定してたりもありますよね)
この人は、例えば神判について、どうして室町時代の人が、それを受け入れたか、当時の人の考え方、捉え方、宗教心などから、解説してくれます。
神判ってスゴいですよ、今の感覚からすると。
たとえば土地などを争う二人が、あっちっちのお湯に手を入れて、やけどしない方が勝訴(湯起請)とか。
もう少し温度を上げて、まっかっかに熱した鉄を持って、やけどしない方が勝訴(鉄火起請)とか。
こんなの、今の感覚からしたら100通りくらいの理由で、瞬時に否定できます。(簡単です)
逆にどうしてこのシステムなのか、どうしてこれでみんな納得していたのか、それを解説して、今の自分たちに納得させる方が難しくて、それを正に試みている本です。
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こういう本を読むといつも思うのは、100年後、200年後の日本人から、今の日本人の振る舞いを見ると、きっと簡単には理解できないんだろな、ということです。
こういう風な解説が必要なくらい、分からないんだろうな、ということです。
このブログなんか、こういうことをした、それでこう思った、ってことを書いてるから(今、有益なまとめ記事などよりも)、我ながら結構いい研究資料になりそう。
人はいつかみんな死ぬことを考えてみた話
みんないつか死にます、なんて当たり前すぎて、「もうその思考は通ったよ」という感じですよね。
ただ先日なんとなく、このことを思い出して、具体的に考えてみたら、はっとしたので書きたいと思います。
みんないつか死ぬ、と言うときですが、"みんな"がどうも漠然としているから、なんか抜け落ちてしまっているように思います。
なんかもうお経のような感じ。
これをもう少しリアリティを持たしていくと、印象が変わってきます。
"ご老人はいつか死ぬ"→まぁそうですよね。
"自分もいつか死ぬ"→はい、受け止めます。
まぁここらへんはいいとして、もう少し踏み込むと
"子供や、今日生まれた子もいつか死ぬ"
これを考えたとき、自分は結構思うところがありました。
まだ希望に満ちあふれている子供たち、未来しか感じさせない子達もいつか死ぬんだなと。
死に方、生き方を考えると、また別問題なのでおいておいて、プロセスはどうであれいつかは死ぬ。
そう考えると、今生きている人たちが集まって、今こうしてこの瞬間に一緒にいること、それはかけがえのないことだなと、思ったわけです。