人とのつながりを区切ること
いまでは誰とでも、いつまでもつながることができるようになりましたが、少し前まではそうでもありませんでした。
毎日会っていた人とも、学校が変われば連絡が疎遠になり、いつしか何年も連絡してなくて、久しぶりにあって感激したり、逆に分かれたっきり連絡も取らなかったり。
昔の手紙やメールほど連絡を取ることの手間が多少ありました。それが疎遠の要因になっていたように思います。
最近のSNSは連絡をとる手間がかなり減り、逆に疎遠になりにくくなったように思います。
たとえばLINEのグループなどは、もう集まらなくなっても残ってて、そのメンバーのままに、いつまでもつながってたりすると思います。
でも、それはなかなか辛いことで、会えなくなったときに一回、解散するってのが、本当はいいんだよね。
解散した後、会いたくない人とはそれっきり。
会いたい人には連絡をとって会う。
そういう意味で、人とのつながりをいったん区切る、リセットする、というのはいいことかも知れません。
リセットした上で、本当に会いたい人に連絡を取る。
だらだらと、つきあい続けない。
今のつながり続けられてしまうひとには、この手法が使えなくて、ちょっと不憫な気持ちです。
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会いたい人には、用事はなくても連絡を取って会う。
人間いつ、なにがあるか分からないし。
連絡もとれてなかった人と、久しぶりに会えるとうれしいよね。
会社に行くときに服と鞄を身につけてみた話
通勤訓練の雰囲気作りのために、久しぶりに会社に行くときの服と、鞄で外出してみました。
なんだかコスプレみたいですが、よくよく考えてみたら、会社員としての役割を演じるロールプレイ、まさにコスプレなのかなとも思いました。
この格好でいれば、変な時間に外にいても、
「移動中のサラリーマンがさぼってるのだな」
としか見えません。
まさにリアルなコスプレでロールプレイ。なにも後ろめたくはありません。
以前に書いた、髭を剃りたくなる、と近いですが、こういう服を着たりすることで、社会に馴染ませることができるんだな、と思いました。
まだ働いているわけではないけれど、社会の一員になった気分。
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復帰したら復帰したらで、ありきたりなサラリーマンは嫌だ。平日もジーンズを履いてるような人でありたい、なんて思うのが目に見えているのですが…
通勤時間に電車に乗ってみた話
通勤訓練ということで、通勤時間に電車に乗ってみました。
とはいえ、本当に通勤時間だと会社の人に目撃されそうなので、この時間では会社に確実に遅刻する時間に少しスライドしてですが
久しぶりの満員電車、立ちっぱなし。
いろんな人がいること、暑い中電車に乗ることを思い出しました。
でも思ったよりも、その環境を受け入れてやり過ごせました。
リアリティを持たせて、"これから仕事に行くんだ"と思ったらちょっと嫌でしたが。
仕事は病気に関係なく嫌なので、そこは仕方ないのだろう…。
移動中には、これまではよく読書をしていましたが、ラジオを聞いています。
この病気の療養中にラジオの楽しさを知り、それを聞いて充実した気持ちになります。
この療養中に覚えたり、楽しさを再発見した物は結構あって、それがこれからの自分の生活の糧になっていくのかな、とも思っています。